【第4回】戦後復興と高度経済成長期を支えた日本の鉱業

September 6, 2025

1945年の敗戦。焦土と化した日本にとって、その後の約40年間は、奇跡的な復興と高度経済成長を成し遂げる時代でした。この激動の時期、日本の鉱業はまさにその心臓部となり、国の再建と産業の発展を力強く支えてきました。本記事では、敗戦直後の混乱から、日本が世界に冠たる経済大国へと駆け上がっていく中で、日本の鉱業がどのようにその役割を果たし、いかにその姿を変えていったのかを解説します。

敗戦からの復活(1945~1950年)

1945年の敗戦後、日本の鉱業は極めて深刻な状態に陥ります。多くの鉱山は設備の老朽化と労働力不足に直面し、原材料や燃料の調達も困難を極めました。この窮状を打開するため、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下で、日本政府は鉱業を中核とした経済再建政策の立案に着手しました。

その中核となったのが、1946年12月に閣議決定された「傾斜生産方式」です。この政策は、石炭や鉄鋼といった基幹産業に資金・資材・労働力を重点的に配分することを目的としていました。とりわけ、鉄道輸送や重工業に不可欠な石炭は最優先され、緊急増産対策が実施されたのです。

こうした政策が功を奏し、石炭生産量は目覚ましい回復を見せました。具体的には、1946年の2038万トンから、翌年の1947年には2723万トン、1948年には3373万トンへと急増。鉄鋼生産も同様に急増し、1948年頃には両産業とも戦前の生産水準近くまで回復を遂げます。

この鉱業生産の回復は、単に物資が増加したというだけでなく、新たな雇用の創出、技術力の向上、そして関連産業の発展といった多面的な効果を日本経済にもたらしました。その結果、1950年には石炭企業が自由競争市場へ復帰するまでに至ったのです。

エネルギー革命と炭鉱の衰退(1950~1960年代)

1950年に入り、石炭企業が自由競争市場へ復帰していった頃、日本のエネルギー構造には大きな変化の兆しが見え始めていました。

この時期には世界的に大油田が相次いで発見され、石油の供給が増加したのです。日本でも徐々に石油の輸入が増え始めましたが、当初は「外貨割当制度」によって輸入量は規制されていました。しかし、石炭と比べて安価で安定的に供給でき、取り扱いも容易な石油の利点が認識されるにつれ、政府は石油を中心としたエネルギー政策へと大きく舵を切り始めます。

その結果、1961年(昭和36年)には、日本のエネルギー供給において、石油が初めて石炭を上回るという歴史的な転換点が訪れました。

さらに翌1962年(昭和37年)に原油の輸入が完全に自由化されると、「エネルギー革命」は一層加速します。石油は、輸送や貯蔵のコストが低く、エネルギー効率も高いうえに、石油化学産業の発展により、エネルギー源としてだけでなく、多様な製品の原料としてもその需要が爆発的に増えていきました。

一方、日本の石炭産業は、この大きな波に飲まれる形で深刻な課題に直面します。採掘コストの上昇、坑内掘りの危険性、そして労働力の確保の困難さなどが、石炭の競争力を著しく低下させていきました。加えて、大気汚染問題が顕在化し始め、石炭の環境面での課題も指摘されるようになりました。

この流れを止めようと、政府は1955年に「石炭鉱業合理化臨時措置法」を制定し、石炭の生産を大手炭鉱に集中させることで石炭価格の引き下げを図ります。しかし、石油へのエネルギーシフトという大きな時代の流れを覆すまでには至りませんでした。

高度成長期を支えた非鉄金属(1955~1972年)

1955年以降、日本経済は高度成長期に突入し、それに伴い非鉄金属産業が目覚ましい発展を遂げました。1958年後半からは「岩戸景気」と呼ばれる景気上昇期に湧き、技術革新を基調とした大型民間設備投資や、テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった耐久消費財に対する爆発的な消費需要が国内で巻き起こりました。

1960年代に入ると、国内経済はさらに勢いを増し、電線や伸銅製品の需要が急増します。特に、電源開発とそれに伴う送配電設備の増強・整備を目標とする新電力長期計画が策定され、電力インフラの拡充が図られたことも、需要増加の大きな要因となりました。

この間、主要非鉄金属の生産量は以下の表に示すように、飛躍的な増加を見せています。

非鉄金属生産量の急増(1960年から1970年)

金属 1960年の生産量 1970年の生産量 増加率
24万トン 82万トン 3.4倍
アルミニウム 12.7万トン 72.9万トン 5.7倍
亜鉛 20.4万トン 67.9万トン 3.3倍
ニッケル 1.9万トン 8.7万トン 4.6倍

出典:JSTAGE 「1960~70年代の主要非鉄金属の需給動向」をもとに作成

特に銅の需要は高度経済成長を背景に、1965年(昭和40年)の42万8000トンから、1973年(昭和48年)には120万2000トンへと2.8倍もの増加を見せました。

一方で、国内の鉱山からの生産だけでは、この爆発的な需要を賄いきれませんでした。結果として、海外からの鉱石輸入が急増します。1955年から1957年にかけて、三菱金属鉱業と三井金属鉱業がフィリピンの鉱山に投資し、鉱石輸入を開始しました。これが戦後初の海外開発鉱山となり、日本の鉱業会社が、安定した鉱石供給源を求めて世界中に目を向け、次々と海外鉱山への投資を行っていくきっかけとなったのです。

オイルショックと環境問題(1973~1980年代)

1973年10月に勃発した第4次中東戦争を契機に第一次オイルショックが発生しました。石油輸出国機構(OPEC)による原油の供給制限と価格引き上げにより、国際原油価格はわずか3カ月で約4倍に高騰したのです。

原油価格高騰によるインフレは日本経済に大きな打撃を与え、1974年度には戦後初のマイナス成長を記録。これにより、高度経済成長期は終わりを告げました。鉱業界においては、特に非鉄金属産業が深刻な影響を受けます。1974年4月をピークに国際非鉄金属市況は大暴落し、1970年代を通じて長期的な低迷が続くことになりました。

その結果、日本企業による海外銅鉱の探鉱・開発費は、1970年の397億円をピークに急減し、1983年には5億円を切るまでに激減しました。また、海外非鉄金属鉱山プロジェクトへの日本企業の関与も、1976年の83件をピークに1980年代にかけて減少し続けます。

この危機に対応するため、鉱業界は省エネルギー技術の開発に注力しましたが、銅市況の低迷や為替差損の累積などにより、1983年にはムソシ鉱山から日本側コンソーシアムが撤退するなど、海外開発は長期にわたり低迷を余儀なくされたのです。

同時期、産業活動に伴う公害問題への対応も、日本の鉱業にとって避けて通れない重要な課題となりました。鉱山や製錬所での環境対策が厳しく強化され、それに伴うコストは、日本の鉱業の国際競争力をさらに低下させる一因となっていったのです。

この時期の日本の鉱業は、高度経済成長の終焉、国際競争力の低下、そして環境問題への対応という、多岐にわたる大きな課題に直面し、そのあり方を根本から見直す転換期を迎えることとなりました。

まとめ

戦後から1980年代にかけての日本の鉱業は、焦土からの復興と奇跡的な高度経済成長を支える重要なエネルギー源・産業原料の供給源としての役割を果たしました。また、石炭から石油へのエネルギー転換、非鉄金属需要の急増、そしてオイルショックや公害問題といった時代の大きな波に直面しながらも、技術革新と戦略転換によって困難を乗り越えてきました。

この時期の鉱業は、資源に乏しい日本が国際的な経済変動に適応し、産業構造を転換させながら発展を遂げていったのです。

【出典】

資源エネルギー庁 第1部 「エネルギーをめぐる状況と主な対策」
https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2018pdf/whitepaper2018pdf_1_1.pdf

ENEOS 石油産業の歴史 「外貨割当制度と貿易自由化計画」
https://www.eneos.co.jp/binran/document/part01/chapter02/section05.html

衆議院「第022回国会 制定法律の一覧」
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/02219550810156.htm

JSTAGE「1960~70年代の主要非鉄金属の需給動向」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/87/1006/87_1006_1069/_pdf/-char/ja

JOGMEC「第2章 我が国の銅の需給状況の歴史と変遷」
https://mric.jogmec.go.jp/wp-content/old_uploads/reports/report/2006-08/chapter2.pdf

JOGMEC「第4章 日本の海外銅資源開発の歴史」
https://mric.jogmec.go.jp/wp-content/old_uploads/reports/report/2006-08/chapter4.pdf

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